今日は、11月24日に登城した、「名古屋城」報告をします。
あ~、勘違い
実は私は、かなりの誤解をしていた。
「名古屋城は、秀吉が建てた」と思っていた。(^0^;)
なぜかというと、名古屋に、「太閤通り」という通りがある。
名古屋市中村区で豊臣秀吉が生まれたことにちなんで名付けられた通り。
でも、私は、その通りが、お城に続く道なのだろう、と勝手な解釈をしていた。
そして、・・・
金ぴかって、どちらかというと、家康より、秀吉のイメージだったので、、、、。(^_^;
名古屋は、三英傑の地
左に見えるのは、東南隅櫓(すみやぐら)。
織田信長は、2歳で、この那古野城(名古屋城の前身)という小さな館の城主を務めた。濃姫を迎えたのも、ここ那古野でのこと。
ということは、名古屋城は、家康が建てた城だが、かつてその場所は、信長が住んでいた。
また近くでは、秀吉が生まれた、ということで、名古屋は三英傑の地であると言える。
東門から、お城へ歩く
左に見えるのは、櫓(やぐら)ですから。
お城の、一番大切な部分といえますね。
そこを、清正(の藩)が担当したのです。
城内には、「清正石」なんてのもあります。
実際には、加藤清正が運んだのではなく、黒田長政なのだそうです。
黒田長政って、黒田官兵衛の息子で、福岡城の城主になった人ですね。
石垣修復中
右の写真は、発掘された石を保管している場所で、元のとおり、積んでいくのだと言う。
お城の天守にも、入れません。(老朽化のため)
もう、閉館して、5年になるそうです。
そして、テレビで話題ですね、市長さんが、木造にしたいと、もめているらしい。
本丸御殿
日本の城郭として、国宝第1号は、名古屋城本丸御殿だったのだそうです。
しかし、1945年5月に、空襲により、焼失。
でも、すごいのは、焼かれる前に、本丸御殿すべての襖などの美術品は外して保管、建物の細部も記録に残し、寸法も測ってあった、つまり、2018年に完成した本丸御殿は、本物と全く、同じに復元された、ということ。
ここから入って良いのは、将軍や天皇など、正式のお客様だけだそうです。
私たちは、庶民の入り口から入っていくと、襖の絵が、・・・
どうも、当時は、トラとヒョウの区別がつかなかったようです。
(トラの子供が、ヒョウ柄をしていると思われていたらしい。)
つまり、奥へ、奥へと行くにしたがって、身分の高い人が、入る部屋となる。
和歌山からお輿入れした春姫が、寂しい思いをしないようにと、名古屋城初代藩主徳川義直の配慮がなされたと言われているそうです。優しい!
ガイドさんの話が上手で、三代将軍徳川家光が、上洛の際、行きは2泊したのに、帰りはスルーした、「名古屋飛ばし」をした理由(ガイドさんの推測)などが、語られ、とても楽しかった。
おそらく、ガイドさんがいなかったら、ただ新しく復元された立派な御殿だったものを、価値のある、歴史的建造物となり、私の心に残りました。
天守閣に上らなくても、じゅうぶん、お城の魅力は伝わりました。