百名城には、入ってない清洲城
愛知県には、日本百名城に入っているお城は4つあります。
2泊3日の、今回の旅では、1日目に岡崎城、2日目に名古屋城に行きました。
さて、3日目は、どこに行こう??
清洲城といえば、信長が、那古野城から、ここに居住を移し、桶狭間の戦いで勝利して、天下布武の第一歩を踏み出した場所としても有名ですが、一番は、信長亡き後、後継者を誰にするかを話し合う、「清須会議」で有名です。
名古屋から、名鉄名古屋線に乗って、「新清洲」という駅で降りました。
え、ここが最寄り駅なのか~。(°°)
東岡崎の駅前には、でっかい家康像があったけどなあ。(^0^;)
信長像、あった!
「清洲ふるさとのやかた」という所に、ボランティアガイドが土日に常駐しているらしい。
そこを目指して、約1キロの道を歩いていると、・・・
信長が見ているのは、桶狭間の方向。
(と、あとからガイドさんに聞いた。(^0^;))
「レジェンドアンドバタフライ」の映画では、綾瀬はるかさんが演じていて、美しく、かっこ良かったです。
30分のボランティアガイドさん
予約はしていなかったのだが、ボランティアガイドさんが2人いて、そのうちの1人が私たちを案内してくれました。
ガイドさんの説明でわかったことは、この城を大きくしてくれたのは、織田信雄(のぶかつ=信長の次男)だということ。
織田信雄は、浜野謙太さんが、演じていました。
織田信長がいた時代の清洲城は、①天守はない ②土塁だけ ③屋根はこけら葺き。
なのに、織田信雄の像は、ひとつもありません。(^_^;
信長の像は、いっぱいあるのに。
お城の中は、資料館のようになっていて、楽しく勉強できました。
「清洲」か「清須」か。
今まで気にもとめていなかったが、三谷幸喜の映画では、「清須会議」だったような、、、
ガイドさんと一緒に、最初に信長の像を見た公園に、再び行った。
ガイドさんと一緒に行くと、見逃していた、信長の数珠にも目が行く。
なるほど、・・・
前日、熱田神宮にお参りしたのだが、
見事に勝利を収めた信長は、この築地塀(信長塀)を奉納し、現存する。
清洲城にも、この信長塀がありました。
話が逸れましたが、清洲公園の看板の真ん中あたりに、このような詩がある。
徳川家康は、それまで尾張の中心だった清須の町ごと名古屋へ引っ越す「清須越」を行いました。
諸説ありますが、1610年の「清須越」以前は、「清須」と表記し、それより後、「清洲」と表記しているようです。
ボランティアガイドさん
今回担当した、ガイドさんの息子さんが、茨城県のひたちなか市に住んでいると言う。
私たちが、茨城から来た、というと、ローカルな話で盛り上がった。
ガイドさんは、こう言っていた。
「茨城県って、寒いですよね。」
(°°)え? ひたちなか市は、干し芋生産で有名なくらいだから、冬は晴れの日が多く、暖かいはずなんだが。
たまたま、訪問した日が、寒かったんでしょうね。