たまベジ散歩

茨城の田舎生活 ~農業初心者の体験記録~

日本百城めぐり 愛知県番外編 その1 清洲城

 百名城には、入ってない清洲城

 愛知県には、日本百名城に入っているお城は4つあります。

 岡崎城名古屋城犬山城長篠城です。

 

 2泊3日の、今回の旅では、1日目に岡崎城、2日目に名古屋城に行きました。

 

 さて、3日目は、どこに行こう??

そうだ、清洲に行こう!

 清洲城といえば、信長が、那古野城から、ここに居住を移し、桶狭間の戦いで勝利して、天下布武の第一歩を踏み出した場所としても有名ですが、一番は、信長亡き後、後継者を誰にするかを話し合う、清須会議で有名です。

 

 名古屋から、名鉄名古屋線に乗って、「新清洲」という駅で降りました。

 

新清洲駅  

 え、ここが最寄り駅なのか~。(°°)

 

 東岡崎の駅前には、でっかい家康像があったけどなあ。(^0^;)

 

信長像、あった! 

 清洲ふるさとのやかた」という所に、ボランティアガイドが土日に常駐しているらしい。

 

 そこを目指して、約1キロの道を歩いていると、・・・

 

26歳の信長像。

 桶狭間へは、ここ清洲から出陣。

 

 信長が見ているのは、桶狭間の方向。

(と、あとからガイドさんに聞いた。(^0^;))

 

 

濃姫の像。

 レジェンドアンドバタフライ」の映画では、綾瀬はるかさんが演じていて、美しく、かっこ良かったです。

 

30分のボランティアガイドさん

 予約はしていなかったのだが、ボランティアガイドさんが2人いて、そのうちの1人が私たちを案内してくれました。

 

 ガイドさんの説明でわかったことは、この城を大きくしてくれたのは、織田信雄(のぶかつ=信長の次男)だということ。

 

 織田信雄は、浜野謙太さんが、演じていました。

秀吉役のムロツヨシ 信勝役の浜野謙太 (NHK名古屋放送局より)

 

 織田信長がいた時代の清洲城は、天守はない ②土塁だけ ③屋根はこけら葺き。

 

織田信雄が、清洲城を(お城も、城下町も)大きくしたんだって!

 なのに織田信雄の像は、ひとつもありません。(^_^; 

 信長の像は、いっぱいあるのに

 

信長公吉例太鼓

 お城の中は、資料館のようになっていて、楽しく勉強できました。

 

 

「清」か「清」か。

 今まで気にもとめていなかったが、三谷幸喜の映画では、「清会議」だったような、、、

 

 ガイドさんと一緒に、最初に信長の像を見た公園に、再び行った。

 

 ガイドさんと一緒に行くと、見逃していた、信長の数珠にも目が行く。

「信長は、『うつけ者』のように言われていましたが、信心深い人だったようですよ。」と、ガイドさん。

 

 なるほど、・・・

 

 前日、熱田神宮にお参りしたのだが、

 

「信長塀」があった。

 信長は桶狭間の戦いの前に、熱田神宮で、戦勝を祈願した。

 見事に勝利を収めた信長は、この築地塀(信長塀)を奉納し、現存する。

 

 

 清洲城にも、この信長塀がありました

 

「信長塀」(こちらは、フェイク。(^0^;))

 

 話が逸れましたが、清洲公園の看板の真ん中あたりに、このような詩がある。

 

「おもいがけない名古屋ができて、
花の清洲は、野となろう」

 徳川家康は、それまで尾張の中心だった清須の町ごと名古屋へ引っ越す「清須越」を行いました。

 

 諸説ありますが、1610年の「清須越」以前は、「清と表記し、それより後、「清と表記しているようです。

 

ボランティアガイドさん

 今回担当した、ガイドさんの息子さんが、茨城県ひたちなか市に住んでいると言う。

 

 私たちが、茨城から来た、というと、ローカルな話で盛り上がった。

 

 

 ガイドさんは、こう言っていた。

 

茨城県って、寒いですよね。」

 

 (°°)え? ひたちなか市は、干し芋生産で有名なくらいだから、冬は晴れの日が多く、暖かいはずなんだが。

 

 たまたま、訪問した日が、寒かったんでしょうね。

 

清洲城登城 令和5年11月25日