5月26日、掛川城に行きました。
掛川城は、掛川駅から近い
駅北口に、像がある。
誰の像だろう?
二宮金次郎は、小田原生まれ、って書いてある。
そこまで読んで、お城へ急いだ。(な~んだ、どこにでもあるヤツかな。)
ガイドさんと、待ち合わせ時刻に遅れちゃう。
左奥の方が、お城。
真ん中に見えるのは、太鼓櫓(たいこやぐら)です。
ガイドさんは2人いた!
私と友人1人を待っていたのは、ガイドさん2人だった。(°°)
どういうことかというと、まだ見習いのガイドさんが、自分の勉強(修行?)のために同行する、という。
ベテランガイドさんは、(膝が悪いので)登城はせずに、城以外を担当し、見習いガイドさんは、お城を担当してくれました。
掛川城は、今川氏の重臣、朝比奈氏のお城
あれっ、そうだったっけ。
大河ドラマで、家康と今川氏真が、掛川城で戦ってたもので、私はてっきり、今川氏のお城だと思ってました。
(実際には、今川氏の時代、駿府には城はなく、今川館があったそうです。)
大河ドラマ、もっとよく、見ておかなくっちゃ。σ(^◇^;)
掛川城の歴史
今川氏の滅亡後、秀吉の配下である山内一豊が入城しました。
安政の大地震で、崩壊。
平成6年に復元されたとのこと。
当時、鉄筋コンクリートで建てる方が、主流だったが、・・・
(木造の方が、お金も、時間も、かかる。)
幕末に描かれた絵図と、天守台の遺構をもとに、山内一豊が築城した高知城を参考にしたそうです。
なぜ、「霧吹き井戸」と呼ばれるかというと、
徳川家康に攻められたとき、この井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説があるからだそう。
これでは、服部半蔵も、なかなか入れませんね。(^0^;)
写っているのは、友人です。
(前日の、駿府城のガイドツアーが良かったので、掛川城も参加したいと、飛び入り参加でした。)
二の丸御殿
安政の大地震で御殿が倒壊した際、当時の城主の太田氏(太田道灌の子孫)により、再建されたのが、この御殿。
中に、入ってみましょう。
その理由は、聞いてないけど、たぶん、・・・
たくさんの畳の部屋があり、二条城と違って、すべての部屋にはいれます。
二の丸茶室へ。
今年の1月に、・・・
世紀の戦い、と言われた将棋の勝負は、ここで、行われたんですねぇ。
二宮尊徳の教えを伝える「大日本報徳社」
私は、ガイドを申し込む時に、「ステンドグラス美術館も含めて、2時間で案内してほしい。」と依頼しておりました。
ここは、二宮尊徳の「報徳」の教えを広めるための、「大日本報徳社」の本社。
なるほど~、だから、駅前に、二宮金次郎像があったのか~。
ステンドグラス美術館
大日本報徳社の向かいに、この美術館がありました。
ここは、あるお医者さんが集めたステンドグラス約70点(と、建物も)を、市に寄贈し、市立博物館として開館。
中は、とても静か~。
落ち着きます。
心癒やされる場所でした。
御殿の裏に、・・・
ガイドさんに言われなければ、見逃すところでした。
ベテランガイドさんに、
「どちらの出身ですか?」と聞くと、
「東京で生まれました。でも、空襲にあって、母の出身であったこの掛川に来て、ずっと気に入って住んでいます。」
2日間にわたり、お城巡りをまとめました。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。<(_ _)>