金山城跡ガイダンス施設
前日、箕輪城を登城。
まず、「ガイダンス施設」で、200円の「攻略本」を買う。
写真右のような、立て札発見。
「山頂往復90分」だと!?
うわぁ、けっこうな登山だなぁ。(゚Д゚)
写真右の窓口で、ガイドブックを買う時に教わった。
城の入り口はここではない、と。
なに~!(゚Д゚)
ふぅ~。良かった~。
知らなかったら、ここから歩く所だったよ。
金山城物見台
物見台に車を駐めた。
ここを、下から攻めてくる武士たちは、大変だったろう。
ガイドブックは詳しい。
今回は、ガイドさんがいなくて、このガイドブックが頼り。
しかし!
それが現実の場所だと、どこなのかがわからない。😓
まさに、「不落の城」!
武士(もののふ)になりきって歩いてみた!
そこを、無事進んでも・・
たとえ、そこを突破したとしても・・・
ここで、また、狙い撃ちされる~。
間違えて突っ込んで行ったら、谷底に落ちてしまうだろう。
ようやく金山城の中枢部へ
数々の攻撃を受けながら、ようやく、中枢部へたどり着いた(気がする)。
こんな高い位置に水があることは、長く籠城できることを示している。
いや、まだ安心するのは、早かった!
いや、右に曲がると・・・・
ようやく、本丸か?
ここは、(現在)市民がハイキングする時の、ゴール地点。
(お弁当を食べている人々がたくさんいました。)
金山城の歴史
築城されたのは、1469年。
築城したのは、岩松家純という、源氏の流れを組む、新田家の血筋。
築城した岩松家は、やがて由良家となる。
由良氏は、上杉や武田から攻撃を受けたり、織田の支配下になったり、北条の支配下になったりする。
その北条が、豊臣秀吉の小田原合戦により滅ぼされ、
(1590年)
えっ、これって、関ヶ原の戦いの前の話ですよ。
それにしては堅固な城!
まだ、本丸ではない
なにしろ、1590年に廃城になってからずっと埋没してたのです。
平成7年にやっと、整備が始まったのです。
まだ復元整備されていないところが、たくさんあります。
新田神社
さらに、この神社の周りを一周してみると・・・
まだまだ、発掘調査中、という感じでした。
あとは、ひたすら、歩いて戻り・・・
ここを出発してから、1時間半のコースでした!
群馬と茨城のご縁
金山城の最後の城主だった由良氏は、この筑波山の向こうの牛久の城主となったのですねぇ。
今日はこの辺で。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。<(_ _)>