青森県から宮城県へ
3月10日(金)
新青森駅から仙台駅に向かいます。
この切符(JR東日本パス)が、お利口さんだと思うのは、改札口(出口)で、・・・
旅の最初のころは、それが不安で、駅員さんに、
「これ、2枚一緒に入れても大丈夫ですか?(O_O)」って聞いたほど。
だって、3日間使うんですよ。
仙台駅で大誤算
無事、仙台駅に到着。
仙台駅に着き、乗り換える東北本線の出発まで、1時間15分もあるから、「牛タン」ランチ!
が、駅3階「牛タン通り」に行ってみてびっくり!
この「牛タン通り」にはいくつかお店があるのだが、どこも並んでいる。
並んでみてわかったが、牛タンは、お客さんの注文を受けてから焼き始めるから、回転が遅い。
あと4人・・・のところまで待ったが、結局あきらめた。
だって、たとえ、店の中に入れたとしても、焼いてもらって、食べていたら・・・・電車に間に合わない(ToT)。
弁当で我慢
待合室のベンチで、「牛タン弁当」をいただきました。
そしてもちろん、ビールにも合います。(^▽^)
「国府多賀城」駅と「多賀城」駅がある
ボランティアガイドの予約をする時に気づいたんですけど、紛らわしい駅が2つあるんですね。
私は、「多賀城駅」と同じだ、ぐらいに思っていたので・・・
ガイドを予約して良かった~と思いました。
国府多賀城
多賀城は、お城の名がついていますが、要するに、国の役所跡です。
この、「国府」というのが、それを表しているのです。
多賀城は、724年に創建され、2024年、つまり来年は、創建1300年。
そこで、多賀城市では、「多賀城南門」の復元工事を行い、さらには、周辺の整備を進めているのだそうです。
工事中だから、正面からは、見られないんですよ。
実は、東北本線に乗っている時、電車の中から見えたのが、まさしく正面なのだ。
帰りの電車で、写そうとしたのだが、うまく写ったかな?
日本三大史跡
奈良時代の日本は、平城京を中心として、南は太宰府、北は多賀城を置いて支配していました。
多賀城は、平城京と太宰府とともに、「日本三大史跡」に選ばれているんだそうです。
模型だと、小さいですけど、・・・
しかも、このうち、11個は、奈良時代に置かれた本物なのだそう。
建物すべてを復元するのではなく、構造がわかるよう、わざと壁や屋根をつけずに展示しているそうだ。
国重要文化財 多賀城碑
これが、スゴイんですよ。
この碑が立てられたのは、天平宝字6年(762年)。
で、ちゃんと、書いてある字が読める。
書いてあることがスゴイ!
多賀城の位置が、(現代語で書くと)
京まで(京都ではなく、この時代は奈良)1500里
常陸国の境まで412里
靺鞨国(まつかつのくに)の国境まで3000里 ・・・・
当時、歩いて、距離を測り、日本国内だけでなく、靺鞨国(まつかつのくに)まで!
靺鞨国は、当時、中国東北部にあった国とされ、そこまでの行き来があったのかと思うと、すごい資料ということになりますね。
松尾芭蕉は、旅の途中に、この碑に訪れたことを、「おくのほそ道」に書いているそうだ。
とにかく広い城、・・・というより、国府、すなわち役所。
そして、スタンプ設置場所は、敷地の一番奥だった。(^0^;)
宮城県と呼ばれる所以は・・・
諸説あるようですが、貴族が多賀城で政治を行っていたから、じゃないでしょうか?
「宮」は貴族を表し、「城」は多賀城。
武士の世の中になってなければ、多賀城市はどうなっていたんだろうな、と、いろいろロマンを感じるお城(お役所)でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(その3にも、ぜひおいでください。<(_ _)> )