地元では常識なのかも。でも目からウロコ①
有名な「黒田節」という民謡がありますね。
♫酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の この槍を
飲みとるほどに 飲むならば
これぞまことの 黒田武士 ♫
福岡県の民謡、ということも知らなかったし、黒田武士の話ということも、ガイドさんに聞くまでわかりませんでした。(^0^;)
歌の内容を説明しますね。
福岡城初代城主・黒田長政に仕えた黒田二十四騎の一人に、母里太兵衛(もりたへえ)という武士がいた。
太兵衛は、長政の使者として、福島正則の元へ使わされた。
福島正則(後に広島城の城主となる)は、大酒飲みで、酒癖が悪かったと伝えられている。
太兵衛は、福島正則の屋敷に招かれ、酒を勧められた。
太兵衛も、酒豪ではあったが、黒田長政の使者という立場上、酒の勧めを固く断った。
福島正則は、しつこく、酒を勧め、飲もうとしない太兵衛を挑発する。
「黒田武士は、酒に弱い。飲めば、なんでも褒美をとらす」
その言葉を聞いた太兵衛は、酒がなみなみと注がれた大盃を、一気に飲み干した。
そして、正則のもつ「日本号」という槍がほしいと言い、その槍が太兵衛のものとなった、という歌なのだそうだ。(諸説あり)
*「日本号」は、正則の武功の褒美として、豊臣秀吉から与えられた逸品。
現在は、福岡市立博物館に展示されている。
福島正則は、焦ったでしょうね。
「あぁ、それ(豊臣秀吉様からもらった槍)だけはやめて~(ToT)」って。
でも、太兵衛は、こう言ったんでしょうね。
「武士に二言はない」と。(^▽^)
地元には常識なのかも。でも目からウロコ②
福岡市内を案内してもらった時にも、「え?(°°)💧」と思ったことがあります。
ガイドさんが、すらっと、こう言いました。
栃木から茨城を流れる那珂川と、字まで同じ。
そして、菅原道真は、「左遷」で、ここまで来たんだって?
(地元の人には、叱られるかもしれない・・・)
太宰府での役職は、何も無く、周りの人からの援助も禁止され、牢に入れられたと同じような生活を送り、2年後に亡くなった。(903年)
彼のお墓が作られたのが905年、太宰府天満宮が創設されたのは、919年。
彼が死んでから、京都で、彼の無実が証明され、陰謀者たちが不慮の死を遂げることが続いたことで、菅原道真の祟りでは?なんていう噂が出たりして、彼のお墓が、太宰府天満宮として祀られることになったんだそうです。(諸説あり)
知らなかった~。
東風(こち)吹かば・・・
この短歌を聞いたことがありますか?
この歌は、菅原道真が、太宰府に出発する直前、愛でていた梅の木のことを詠んだ歌だそうだ。
わが家の梅の花よ。東風が吹いたら、私のいる大宰府まで匂いを届けておくれ。主人がいないからと言って、春を忘れてはならないぞ。
さて、ご主人からそんなふうに言われた、かわいい梅の花は、どうしたと思いますか?
なんと、一夜にして、主人のもとに飛んできたと言うのが、・・・・
あと、どうでもいい話だけど、ガイドさんに聞かなきゃ、わからなかったな、という人を紹介しますね。
答え
① 麻生太吉(あそうたきち)さん (石灯籠を寄進)
麻生太吉さんは、有名な炭鉱王だったそうで、天満宮境内裏から、竈門(かまど)神社まで通じるトンネルも作ったそうです。
「竈門神社」と言えば、ほら、「鬼滅の刃」の・・・・(*゚∀゚)
答え
② 伊藤伝右衛門(いとうでんえもん)さん (鳥居と門柱を寄進)
朝ドラ「花子とアン」で、仲間由紀恵が演じた「白蓮さん」のご主人のモデルになった炭鉱王ですね。
ドラマでは、吉田鋼太郎が演じていました。
目からウロコほどではないけど、「あ~、この人たちも、ゆかりの人物なんだ」って。
福岡のお話は、ここまでにして・・・
母ぶぅさんのお宅で、蕗味噌を作っていました。
母ぶぅさんちは、県南の方ですから、こちらでは、フキノトウはまだでしょう、と思っていたら・・。
今朝、LINEで、市内に住む友人から、福寿草とフキノトウの写真が送られてきました。
え?もう、同じ市内で???
探しに行ってみました。
まだ風は冷たいですけど・・・・
フキノトウは、まだ、見つかりませんでした。( ̄0 ̄)
今日も長々と、最後まで読んでいただきありがとうございました。<(_ _)>